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プロフィール小野 史人

1974年、普通のサラリーマンの父と優しき母のもとに生を受ける。
親からの愛情を受け、スクスクと育っていった。

今思うと大変ありがたい話であるが、私の親は、私が「やりたい」と言ったことは反対することなくやらせてくれた。
その代わり、「やりたい」と言ったことを「すぐに辞める」ことだけは断じて許さなかった。

例えば、空手。
私が空手を始めたのは小学2年生の7歳の時。
動機は「友だちがやっているから」という不純な理由。
それでも私の親はやらせてくれた。

小学校高学年になると、友達たちは塾に通うため、次々に空手から離れていったが、私は中学受験と並行しながらも何とか続けた。苦しい状況でも続けられたのは「成長できる実感」があったから。

私は空手を通じて、「礼儀」の大切さ、「師や先輩を敬う」ことの大切さ、そして自分がヒトとして成長する実感、空手は何にも代えがたい成長の糧となった。

白帯から始まった私の空手人生は結局、大学卒業するまで15年間続いた。帯の色も黒。段位も頂いたし、その過程で、出場した大会で賞も頂いた。
横浜市大会3位、区大会2連覇、日本武道館でも試合をした。よい思い出の一つである。

勉強の甲斐あってか、私立の中高一貫校に進学、大学も無事現役で横浜市立大学商学部に入学した。

大学2年生ころからコンピューターに目覚め始める。
最初に買ったパソコンはEPSONのDOS/V機(98互換)。更にマッキントッシュにも手を出し、はまっていく。

大学の講義ではBASICやFORTRAN、統計処理でSPSSとか触って、コンピューターの可能性の大きさに心躍らせていた。

当時、就職氷河期の終わりで大量に大卒を採用していたのは、IT企業のSEか製薬会社のMRの2職種くらい。
もちろん就職はIT業界、大手東証一部上場の独立系のシステムインテグレーターだ。

新人SE研修では決して成績は悪くはなかったのだが、配属は人事課長の「小野は営業に」の一言で、予想もしなかった営業部門に。

製造業をターゲットとする新規開拓営業に奔走することになる。
ここで「人生何でもうまくいく」と思い込み、伸びきった私の鼻は思いっきり「ポキン」と折られた。

全く営業成績が上がらない……………

同期と比較しても辛うじてビリではなかったが、常にブービー争いをしていた。

「ITで何でも解決できる」
「ITで解決できない問題なんてあるわけがない」

ITを「魔法の道具」と信じて疑わなかった私は、気がどんどん大きくなって、しまいには「私の提案を受け入れない企業はレベルが低い、うちが付き合う会社じゃない」そう思っていた。

真実は逆なのに。

ビリにならなかったのもたまたま物販の見積が他社より安かったから注文してくれていただけで、今思えば、コンサルティング営業なんて全然できていなかった。
ホント、ラッキーパンチである。

うだつが上がらない不毛な日常の先に、転機は突然訪れた。

東阪人事大交流の名の下、大阪本社に転勤することになったのである。
転勤して出社1日目のこと。
私の上司は何と私を総合電機メーカーのアカウント営業にするという。

今までは新規開拓営業だったらから、「ここがだめでも次」というように行き先があったが、今度は1社しかない。しかも超でかい。

与えられた目標は、IT投資予算のうち、総合家電メーカーのグループ会社を除いてNo.1(全体でも2位)のポジションを獲得すること。

スタート地点は5番手。

競合は名だたる会社ばかりで、その相手に勝ち、No.1のポジションを獲得しなければならない。
東京で大した成果を挙げられなかった私がなぜ?・・・・途方もない大きな目標であった。

総合家電メーカーの社員の皆さんは誰もレベルが高かった。会社も大きすぎて、正直社会人4年生くらいが提案してどうこうという感じはなかった。
サーバもパソコンもメーカーが特価出して叩き合い、独立系の当社が獲れるわけがない。

幸い、当時はセキュリティもそれほど厳しくなかったので、入館証を発行してもらっていた。
ある担当者には「営業が常駐している」と思われるほど、朝から夕方まで入り浸っていた。

あまりに会社が大きすぎてシステムも複雑なので、一度状況を整理した資料を作成して、「このような理解でよいですか?」と担当者にぶつけてみた。
「そうそう、小野さん。ここが問題なんだよ。業務を整理するのを手伝ってくれる?」

お客様の担当者が外部コンサルタントにお願いする予算がなかったので、よく入り浸って状況を整理してきた私に白羽の矢を立ててくれた。

営業という立場でありながらお客様の新しい販売チャネル構築とそのシステム化構想から支援させて頂いた私はシステム構築プロジェクトを受注できた。
顧客の経営を、事業を、組織を、業務を、そして担当者の状況を、理解したからだったと思う。

規模は○億円。社内でも優秀プロジェクトとして表彰された。

競合他社の担当営業が次々に入れ替わる中、お客様各部署と関係性ができていた私はずっと4年間、重点先カスタマーの担当営業を続けることができた。

大阪転勤時に上司から言い渡された途方もない目標を達成できたのは4年後のことであった。

これが私のコンサルタントとしての原点。

私が成果を出すことができたのは、顧客視点があったから。

よく「お客さんに育ててもらった」と耳にするが、私もその一人である。
翌年、人事部から東京転勤の打診を受ける。
営業職ではなく、何と専門職(コンサルタント)としての異動であった。

コンサルタントとしてのキャリアをスタートした私は、IT導入よりも経営や事業、組織、業務が変革していく過程に関わっていくことに興味を持つようになっていた。

欲張りな私は「どうせなら一部分だけでなく、丸々関わりたい」と思い、中小企業診断士資格取得にチャレンジ。

会計系コンサルファームや中堅SIerでキャリアアップしながら、業務コンサルタントとして中小企業の会計・原価管理コンサルティングに従事する傍ら、何とか中小企業診断士になることができた。

そして、「35歳だったら失敗してもまだ何とか再就職できる」と突っ走って独立開業を果たす。

35歳で中小企業診断士として独立した当時、大企業~中堅企業に対するコンサルティング経験しかなかった私の売り物は「IT」しかなかった。

「ITを導入すれば、売上が上がる!」
独立当初はそう思い込んでいた中小企業の社長にアドバイスする仕事が多かった。

私は心のなかで葛藤する。

「IT」の専門家として仕事する私。
「IT」の専門家になりたくない私。

なぜなら、ITでは何も解決できないことをこの身で痛感しているから。
ITはもはや水道やガス、電気みたいに経営のインフラであって、何ら特別なものではない。

成果を上げるのは「人」で、少なくとも「IT」ではない。
そこで会社員時代のキャリアを、「事業・業務の仕組みづくりをITで支援する仕事」と定義しなおした私は中小企業には「管理の仕組みが脆弱な企業が多い」ことに気づく。

大企業~中堅企業で提供してきた数多くの管理システムを中小企業が使えるようにメリハリ付けて簡易化して導入・定着化(ここが難しい)できれば、まだまだ業 績を回復できると信じて、研修講師業などには目を向けず、中小企業診断士に一番期待されている最大の使命「中小企業支援」を地道に続けてきた。

独立して2年、従業員100人未満の老舗企業・成熟企業の経営革新と事業再生に特化したコンサルティング会社、株式会社ライブリッツ・アンド・カンパニーを設立。

「ライブリッツ」とは私が大切にしたい2つのキーワードの造語である。
ライブ:現場感
スピリッツ:心・魂・想い

現在は、運良く巡り会い、教えを受けた中小企業再生コンサルタントの森井義之先生が提唱するPBM経営理論を拠り所にし、「戦略の再構築と過程管理で未来をつくる」をミッションに掲げ、すべての中小企業とそこで働く従業員およびそのご家族が、自分の夢も命も捨てることなく、窮境を乗り越え、未来を切り拓き、市場でキラリと光る存在へ革新する過程を通じて、夢や目標に何度でもチャレンジできる生きがいある社会づくりに貢献したい、と考え行動し続けている。

小野史人の得意とする業種

製造業とサービス業および食品加工業、歯科医院、ソフトウェア開発・IT業

小野史人の専門とする分野

経営革新、企業再生、プロジェクトマネジメント、コスト構造可視化、情報化戦略、Webマーケティング、独立系システムインテグレーターや会計系コンサルファームで、提案営業からERP導入コンサルタント、プロジェクトリーダーと幅広い業務経歴を持っています。

売上高1兆円の製造業と数千万のサービス業、双方に対してERP(統合業務システム)導入経験があるという点では希有な存在です。
現場に入り込むコンサルティングで、プロジェクトリーダーとして数多くの経営管理・業務改革を完遂してきました。
企業の財務分析・コスト構造可視化から着手し、「適正な利益と資金創出力を高める」1点に集中します。
「経営管理」に係る仕組みづくりを得意とし、戦略再構築から組織設計・業務設計を提案・推進し、過程管理体制構築を支援します。

業務面では管理会計や業績管理領域、原価管理制度設計を、情報システム面では、特にWebマーケティングや会計システム強みとしております。

あと隠し球は、「パワーポイントを使った企画書・プレゼンテーション作り」です。
他のコンサルタントの方々から「これだけでも十分プロ級」と言われる腕前です。

小野史人が専門家として関わっている企業、財団の一例

神奈川県中小企業再生支援協議会 専門家
東京都中小企業再生支援協議会 専門家
宮城県中小企業再生支援協議会 専門家
東洋大学 大学院 経営学研究科 講師
独立行政法人 中小企業基盤整備機構 中小企業大学校 講師
東京都中小企業振興公社 経営総合相談室相談員
東京商工会議所 企業変革アシスト事業 ディレクター
東京都中小企業振興公社 登録専門家
横浜市経済観光局 登録専門家
川崎市産業振興財団 登録専門家
神奈川県産業振興センター 経営アドバイザー
さいたま市産業創造財団 登録専門家
独立行政法人 中小企業基盤整備機構 魅力発信レポート作成専門家
武蔵小山創業支援センター アドバイザー
西武信用金庫 中小企業応援センター 登録専門家
全国中小企業団体中央会 農商工連携Platz 登録人材

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